久々に上野を歩いたら、アメ横ABC-MARTが濫立してて非常に気持ち悪いことになってた。まじああいう光景を見るとやる気なくすんだよねーと友人に話したら、それナイーヴ過ぎるだろと笑われたけど。まあね、馴染みの居酒屋とか古本屋が吉野家とか和民になってることなんかざらにあるしね、最近。でもね、そういうの見るとほんとやる気なくすんですよね。いや、そもそもやる気なんてそんな持合わせないほうだと思うんだけど、なんていうか酒を呑む気もうせるっていうかね、もうはやく眠りたくて仕方なくなるっていうか。まあこの気分がね、ナイーヴ過ぎる私のせいばかりとはね、思わないんすよね。

間宮兄弟』と『蛇イチゴ』を観た。
間宮兄弟は、かなり自覚的な言表としてのなんかいい映画で、そして絶対多くの人から異議を申し立てられるだろうけど、沢尻エリカをたぶんはじめていいと思った。そして蛇イチゴはちょっと久々に感動さえした。ちょっと前に観た『空中庭園』とかぶる部分もあったけど、あれは何ていうか小泉今日子が胃にもたれたっていうか、そういう撮り方をしている作品自体に嫌らしさがまとわりついていて、角田光代の原作の軽やかな部分が悪い意味で損なわれてしまっていたのだけど(というか今となってはそういう印象しか残ってないのだけど)、蛇イチゴは物語の持つかったるさを映像的な部分で浮遊させていて、いや非常に感覚的な言い方だけど浮遊させていて、詰まるところ良かった。この監督の西川美和ってたぶん『ゆれる』の人で、『ゆれる』は結局見逃したままになっていたので、いっそう悔いが深まったが。

昨日、初めて仙台に行った。そして道に迷った。
目的地までの地図を片手に、「この大通り沿いに迂回するより、この路地はいって抜けた方が近道っぽい」とか思ってルートを外れると、絶対集合住宅地かなんかの袋小路でいや参りました。

まだ11月なのにすげえ寒くて、部屋の中で吐く息もやはり白くて、今朝とか毛布跳ね飛ばして寝てたからほんと生命の危機を感じましたよ。それにしても最近、羅針盤『会えない人』の「さけび」がほんと素晴らしいなーと私は思っている。で、いやほんと今朝は死ぬかと思って、だって目が覚めて10分たってもガクガク震えが止まんなくて、ひとりベッドの上で「やばい、やばい」とか唸ってて、走馬灯とか大きな川とか見えなかったけど、でも「走馬灯見えてないからまだ全然余裕っすよ」とか思えるほど私もスレてなくて、だから真剣に「あー、死ぬ」と思った。で、そう思ったら急にもう一度、あと一度「さけび」が聴きたくて聴きたくてたまらなくなって、あまりに聴きたいものだから泣きそうにさえなって、ここで無理に体を動かしたら死期を早めるかもしれないという懸念はあったものの、まさに必死の思いでプレーヤーにCDをセットして、スタートボタンを押した。
いや死ななかったんですけど、つーか風邪さえひいてないんですけど、でもやっぱ「さけび」は素晴らしかったなー。

クチロロの1作目から『ファンファーレ』にいたる変化というか、ある種の節操の無さはくるりとかのそれとはやっぱ聴き手にとって違う印象を抱かせるよなーと、なんつーか志向性と嗜好性のちょうど中間にあるような、あるいはもっと風俗的なものとの相関関係の中に落とし込めるような、そういう差異において。まあ風俗的なものとの相関関係って、それはたぶん永江朗が言ってるような「ブックオフ文学」みたいなもんで、だからそれ以上の重要性とかはとりあえず求めたくないんだけど、でもそこにフリッパーズを経た小山田圭吾ではなく、小沢健二を想起する人は大勢いるらしくて、私もそんな情報を持って聴いてみると確かにオザケンっぽいなとか思ったりしてる。でもまあ、『ファンファーレ』はいいっす。

ファンファーレ

ファンファーレ

最近はすっかり天気の良い日が続いてたんだけど家に帰り着くのが連日9時10時で、まあたいして遅いわけでもないんだけどさすがに洗濯機まわすのはなーと憚られて久々の2連休、たまってた洗濯物をベランダに干すことができた。部屋の掃除とかもけっこう大掛かりにやって、部屋中に充満した埃はいまもって追い出しきれてない気もするけど、とりあえずまあやらなければとここ数ヶ月思い続けていたことをやり遂げた。
で、掃除をしながらpolarisをずっと聴いていたんだけど、やはり、というよりむしろ意外に、素晴らしかった。特に『ユニオン』の前半とか。小学生のころ、おばあちゃんと1回だけ旅行したことがあって(つーかまだばあちゃんは健在だけど)、その長野へ向かう高速道路の単調な風景と、なのに旅行の高揚からか、時折山の間に垣間見えるラブホテルの看板をはしゃいで私に読ませるおばあちゃんの茶目っ気と、そのかえすがえすも幸福な空間の感触が音楽に乗ってふと甦ってきて、ほんと久々にいたたまれなくなった。

もう7月も半ばですかって、先週の金曜日に驚いたばかりなのに、というかだからこそもはや3連休もあと1時間ですかってびびってしまった。様々な意味で気を抜いて生きていくことは大切だけれど、それ以上に気を抜こうと意識した瞬間にその態度はわりと破綻しかかってることを認識することのほうが重要で、で一番おっかないのは気を抜かなきゃって意識する、その反照の契機そのものがわりとフランクに縁遠いものとなっていってしまうことだ、とふと思ったけど、まずこの思考自体が自分の現状を打開するうえで有効とは言いがたい点と、そしてこのように状態というか現象を容易に一般化してそれに優劣をつけてしまう態度ってどうなのかなという点とで、上に書いたことにはあまり自分自身で納得できていない。特に思考の有効性について、そんなの要らないよってロジックはあって、そのロジックが正当性を担保してしまうときに、けれど自分もそこへ立とうとする根拠というかそれこそ正当性がいまいち希薄で、これは本当に今後真剣に考えていかなくてはならない問題だろうな、メタ的な次元とかでは全然なくってと、そう思う。