佐川光晴の『銀色の翼』を読んだ。村上龍が言うように奇跡的な作品かどうかは全然疑わしいけど、フィジカルな苦痛がもはやメンタルな部分をも呑み込んで生活におけるある種の基盤になっていってしまう様とか、そしてそれでもメンタルな部分で、月並みだけど苦痛と足取りを揃えていく様とか、読んでて泣きそうになった。

ある人が苦難に見舞われることをなにかの報いとみなしたり、因果を説明してその仕打ちに屈服することは、不当である。不条理な世界のなかでどんなに苦難がつきまとっても、罪深い生はないし、生きるに値しない生もない。不条理を前に人はそれを認めつつ苦悩しなければならない。そして、生きることは、よい。

いま引用しながら気づいたけど、これコンテクストがないと凄い文章だな。
まあ実は楳図かずおとか読んだことなかったりするんだけど、でも「頑張る」ことに対して付与されすぎなクリーンなイメージを木端微塵にするくらいの強靭な文章だと思った。と思うからばかりではないけど、繰り返しこのセンテンスのはいってる文章を読み返してる。

青土社から立岩真也の新刊が出たのか出るのか、とりあえずそんな情報がなぜか海外を旅行中の友人から入ってきて、『自由の平等』と『弱くある自由へ』をパラパラめくりながら読み返してみるのだけど、まったく触れた記憶の無い箇所がかなりあってびっくりした。これはどういうことなのかと考えてみるけどわからなくて、まあ明日からでも本格的に再読していこうと思う。

実に10数年ぶりに歯医者へ行き、人生で初めて歯の神経を抜いた。ただいま麻酔の切れた痛みで苦悶中。
それにしても最近の歯医者は凄くて、虫歯の箇所とか削ったあとのぽっかり穴の開いた歯とかをいちいちカメラに撮って見せてくれるんだけど、それを指差しながら、ねーほらこんなに虫歯が進行しちゃってますよー、とか言われてもそもそも健康なそれの状態を知らないのだからリアクションのとりようがない。

電車に乗っていたら隣に立ってた奴がめちゃくちゃ音漏れしていて、うーんうざい、とか思ってたんだけど、漏れてくるのがどっかで聴いたことある曲ばっかで、よくよく耳をすましてみたら、小沢健二の「ある光」だった。
この線路を降りたら赤に青に黄に願いは放たれるのかって、いや別に感じ入ることがないわけでもなかったし、高架を走るその線路の窓からは街並の信号機が赤に青に黄に瞬いている様がほんと瞬いているように見えて、そういう時間に「ある光」が流れているっていうある種のヴィヴィッドさにはもはや感傷的になる隙さえなく、ただただ恐れ入ってしまった。
家に帰ってきて、借りてきた『青い車』を観る。

会社から帰ってきて予定表を開いたらなんと土曜の明日も出勤日で、実に数年ぶりに目眩というか視界がくるくる回って、まわるまわるぐるぐるまわる、吐くまで踊ったりはさすがにしなかったけど。
いいかげん大江健三郎を読もうと『万延元年のフットボール』を買った。

連休の最終日。正午くらいに起き出して髪を切りに行く。初めてはいる美容院はやっぱ緊張してしまう。
その足でレンタル屋へ寄り、『リンダリンダリンダ』を借りてきて鑑賞。まず、何も意味がないと認識しながらそれでもそこにのめり込んでしまう、危うさと紙一重の、でも危うくない、そういう姿勢は素敵だと思った。別に元気になったり癒されたりはしなかったけど、つーかだからかこそびっくりするぐらい心を動かされてしまった。教師役で出てた甲本雅裕は確か甲本ヒロトの弟とかで、そういうキャスティングをするこだわり方とかも嫌味っぽくないし、つくづくいい映画だなーと。
あと何の前提知識もなく観たから湯川潮音が普通に出ててびっくりした。

リンダリンダリンダ [DVD]

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