クチロロの1作目から『ファンファーレ』にいたる変化というか、ある種の節操の無さはくるりとかのそれとはやっぱ聴き手にとって違う印象を抱かせるよなーと、なんつーか志向性と嗜好性のちょうど中間にあるような、あるいはもっと風俗的なものとの相関関係の中に落とし込めるような、そういう差異において。まあ風俗的なものとの相関関係って、それはたぶん永江朗が言ってるような「ブックオフ文学」みたいなもんで、だからそれ以上の重要性とかはとりあえず求めたくないんだけど、でもそこにフリッパーズを経た小山田圭吾ではなく、小沢健二を想起する人は大勢いるらしくて、私もそんな情報を持って聴いてみると確かにオザケンっぽいなとか思ったりしてる。でもまあ、『ファンファーレ』はいいっす。

ファンファーレ

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