サニーデイ・サービス

表参道から渋谷駅ぐらいまでを夕方、19時くらいに歩きつつ『24時』を聴いていて思ったことは、このアルバムの肝って言ってしまうのは独善的かもしれないけど、私がこのアルバムを聴きたいと思ってしまう求心力の源っていうのは、やっぱ「さよなら!街の恋人たち」でも「経験」でも「太陽の翼」でもなくって、断固として「シルバースター」なんだよなぁってこと。後半の煩わしいほどに内省的な曲の並びをものともせず、ひたすら頭の中でリフレインして消えないわけですよ。そして消えないからこそ、ちょっと実験的かなーとか思ってしまうその後半部分が、耳の奥で適度なまとまりっていうか、ちょっと陳腐に言ってしまえば統一された匂いや色を持ちうるのかもしれない。そう言ってしまってでも即座に思い直したのは、別にそういう質感とか統一性とか全然大事じゃないけど、ただわりとアヴァンギャルドに聴こえてしまうその後半部に対して私が抱く匂いや色ってのは全然アヴァンギャルドっぽくなくて、むしろ、という接続詞は正しくないだろうけれど敢えて使えば、むしろ今日で言えば道玄坂の風景とか、その日そのときに目にした街並だとかイルミネーションだとか、生活の中で日々更新されていくでも馴染みの泥臭い質感なのであり、結局のところ『24時』はそのアンチノミーでもなさげなアンチノミーを、常に余剰を孕みつつ歌い続けてるわけで、やっぱそれって凄いことだよなと素直に感嘆してみる。で、そういうふうに明らかに楽曲の雰囲気が異なる前半部と後半部を、でも絶妙にマッチングさせてしまう「シルバースター」のポジションってやっぱ大事だなーと。