ずっとフィッシュマンズを聴いていた

まあもちろん文字通りずっと聴いてたわけじゃないけど、朝出かけてから21時ごろ家に帰るまで移動時間中はウォークマンで『Neo Yankees Holiday』を聴いてた。たぶん6回くらい回ったんじゃないかな。
まあだから別にどうだってことではないんだけど、でも満員電車に揺られながら窓から街並みにぽつぽつ明かりが灯っていく様を眺めてるときに「かなしいときにぃ〜うーかぶーのはぁー」とか歌われてちょっとググっときてしまった。
「悲しいときに浮かぶのはいつでも君の顔だったよ 悲しいときに笑うのはいつでも君のことだったよ」って、いま歌詞カードないからあやふやではあるんだけど、まあ単純に嘘つけって話だよなーと思う。たぶん悲しいときに浮かぶのは君の顔だけじゃなかっただろうし、同様に笑うのも君のことだけじゃなかっただろう。ご飯のこととか天気のこととかも考えるだろうし、風呂入るとき「あれ、少し太ったかな」とか考えるかもしれないし、体重計に乗ってみたら3キロくらい増えてて思わず笑っちゃうかもしれない。世界は「君」だけじゃないんだぜって普通に思う。
でも同時に「君だけだよ」って言えてしまう、錯覚してしまう刹那的な感情って充分理解できるし、自分にもあるような気がする。その気分にどこまでストイックであるべきかってのは考え出すと本当に難しい問題で、んー別に「嘘つき」とかわざわざ突っ込まなくてもいいような気がしてしまうし、少なくとも簡単に否定すべきものじゃないのかもしれない。
フィッシュマンズを聴きながら、しかもググっときながら、そんなことを1日ぼんやり考えていた。