カンパリ

カンパリ*1を飲んだのとか、もう何年ぶりだっただろう。
ああ確か大学入る前だから4〜5年前だよなと、でもこういうふうな回顧に際して衝撃を受けてしまうのは以前ジジェクの文庫が出たときにもここに書いた気がするけど、4〜5年という時間の経過のはやさよりむしろ、4〜5年が経ったということに全然リアリティが持てないということで、ほんと時間とか流れてないわとか変な感傷抜きにただただ驚いてしまう。
そして話は変わって、たぶん来月の今頃私は就職しているのだけど、そのときもしかしたら今日とはうって変わって時間の進む速度に当惑しているかもしれないとも思う。なんか大学のころよく聴いていた音楽とかを耳にして浸っちゃってるかもしれない。でもやっぱ働くということに何か、ある決定的な、たとえば断絶といったイメージを重ね合わせ、そして妙にシニカルになったり、何かを割り切ってしまいたくはない、どれだけ当惑したとしても。普通に、いったて普通に、私はいつだって仕事を辞めることができるし、金を貯めたら1年くらいぶらりと旅行に出掛けることもできる。するかどうかは別としても、それはごくごく普通の選択肢だ。働いたらみんな変わっちまうんだよとか、社会はそんな甘いもんじゃねえとか、愚痴や戯れで言うならまだしも本気でそんなこと思うとしたら、まじ未来をなめすぎてる。未来の可能性は、ひとつに今日の自分の想像力の有限性に担保されているはずで、その意味において、否定的にも、もちろん肯定的にも、それは私の認知しえない余剰を携えたものとして想起されるべきだと思う。すごく陳腐に言えば、未来はあらゆる可能性を内包させて在るのであり、そういうとき仕事を辞めるとか旅行にいくとかはいたって普通の選択肢なのだから、そのことくらいはいつも念頭に置いていたっていい。
いや、恥ずかしくなるようななんでもない話なんだけど。

*1:確か『ライフ・アクアティック』でビル・マーレイが凄く美味そうに飲んでいたけど、やっぱりこの苦味は嫌いだ。