メリーメリー

年末とか忘年とか、別にそういうわけではないんだけど、昨日今日とそれぞれ高校、中学の友人と会って談笑した。もちろん昔話とかは普通に開花してかなり楽しい時間は過ごせたのだけど、自身がアクチュアルに属している環境の影響力を実感した。
こういう分析は何だか俯瞰した視点に私が立っているみたいで嫌なんだけど、酒呑んだり飯食ったりカラオケしたりしているそのときに「たぶん」考えていただろうことっていうのは、「こういう会話ってたぶんいまフランクに付き合ってる奴らとは交わさないだろうな」ってことで、たとえば「いま付き合ってる奴はいるのか?」みたいな質問が実に一年ぶりぐらいから再会した人間の口から発せられるのに当惑させられたり、もっとクリティカルだったのは時事問題的なことに話題が及ぶと、自分と周りの人間とのスタンスの違いってものが浮き出てきて、それはまあ政治的スタンスの違いとかいう意味ではもちろんなくて、単純に政治的スタンスが違えば私が反論すればいいのだけど、いま私が属している場であるなら絶対にそこから議論が生まれるのだけど、昨日今日とも私が反論しようものなら周囲の空気が一瞬凍結するっていうか、みんなガン引きで、なにか申し訳ない気分になってしまった。
議論が生じる生じないに優劣の差なんてもちろんつけられないわけで、ただ「語ること」に対するスタンスの差異みたいなものだけは明確に感じられて、その差異を察知したアクチュアルな環境の影響力って凄いなぁっていうか、思考とかの変化ってのを身を持って感じた。
そういや先日某大学で聴講した岡真理氏と米谷匡史氏の講演会の題名にも「語ること」って入ってたなぁ、全然関係ないんだけれども。いや、やっぱ関係はあって、「語ること」を相対化するっていうか、「語り」信仰みたいなものを見直していくのは大事なのだろうし、その講演会も同様の方向性を持って企画されたものみたいで、非常に興味深い内容だった。