友人宅にて

中学時代の友人宅で呑むっていうか、中学時代の友人同士が結婚して夫婦になって暮らしている家で呑む。今日はじめて知ったのだけど、どうやらほとんど廃屋だった一軒家をその友人が自分で建て直したらしくて、ほんとそれにはびっくりしたっていうか感心してしまった。特攻服とか刺繍ランとか、十代のころのいろいろ懐かしいグッズを拝見して楽しませてもらった*1
ところでやっぱ特攻服には菊の紋とか日章旗とかが刺繍されてるんだけど、これを実際に着る人たちにとってそれらは戦争とか天皇とかを連想させるものではなく、自分を着飾り奮い立たせるための道具というかそれくらいの記号的意味しか持たないんだろうなと思って、そういうことを友人に尋ねたら「菊から天皇を連想してしまうくらいの教養と道徳*2は俺にもあるし、でもそれは服を着てないときの話で、実際に着て走ってるときは別に自分が天皇の何かを背負ってるなんて思ったことはなかった」みたいなことを言われて、いや別に私はAからBを連想できるか否かではなく、そう連想する機会があるのかというか、そもそもそこに刻まれている〈菊〉は天皇という意味を投錨する菊とは最初から違うんだろうなということを訊いたわけだったんだけど、少なくとも自分が想像していたものより事態は複雑であることを思い知らされ、つーかひょっとするとそんなことは尋ねる前に気づけよっていう話なのかもしれないのだけど、あまりに一面的な物の見方をしてしまったなということと、ひょっとしたら友人に不快感を与えてしまったかもしれない私の尋ね方について猛烈に反省した。

ひとしきり騒いでたら赤ん坊の泣き声が遠くから聞こえてきて友人が「夜泣きだ」とか言いながら寝室の方へ走り去ってって、なんつーか別にショックとかではなかったけど、「ほー」とか「へー」とか「はぁー」とか思って、まあ平たく言えば面食らったってことになるのだろうけど、くらった。で、一緒にお邪魔してた友人が「変わったなー」とかその感想を口に出し、私もついついそこに乗ってしまって「まあもうすぐ卒業して十年たつしね」とか笑い合ってしまったのだけど、でもそのときの会話に含まれていたであろうある種の感傷というかそういうのについていま思い返してみると、何某かの変化をセンチメンタルな共同性みたいなものに帰結させて消費してしまうのって、ちょっとあまりに簡単すぎたよなーと。

まあでも楽しかった。今日とか活動時間はたぶんまだ7時間くらいなんだけど、いろいろと思考を刺激されたし、そういう意味でも楽しかった。また行きたいなーというか、またこういう機会をもうけたいなーと思った。つーか今度はぜひ赤ちゃんの起きてる時間帯にお邪魔して、あいつとこいつの子供はどんな顔してるんだろうという、ここ二年くらい引きずってる疑問に答えを示しておきたい。

*1:別に私がゾッキーだったとかそんなことはないです。

*2:そういう言葉を実際に使っていたと思う