海辺のカフカ

今さらだけど、村上春樹海辺のカフカ』を読んだ。
これは『ねじまき鳥』とか『スプートニクの恋人』にも言えることなんだけど、初めのうち上巻くらいまでは普通に読めて、そこからクライマックスに突入するにつれて一気に辛くなってくるという感じだった。「村上春樹は批判されまくってて、俺もその批判のいくつかには納得するけど、でもやっぱ俺は春樹が好きだし肯定してやりたい」って酔うたびに言い出す知人が刊行当時、「もう村上春樹はダメかもしんない」って肩を落としてた姿を思い出しながら、やはり私も「森」とか「入り口」とか、とにかく打ちひしがれた気分になってしまった。
あとこないだ中村文則の『土の中の子供』を読んで、これは明らかに舞城を意識しててでもその意識の仕方はなんかセンスなくないとぼんやり感じてたんだけど、明らかに村上春樹の存在っていうのも中村文則の中で(その意識のされ方は舞城のそれとは異なっているけど)大きいんだろうなー、そしてやはりそのことは往々にしてよく論じられているように中村文則にだけ言えることではないんだろーなーと改めて考えさせられた。
そのほかに瀬尾まいこ幸福な食卓』と小路幸也『空を見上げる 古い歌を口ずさむ』と大泉芽衣子『夜明けの音が聞こえる』を読んだけど、どれもパッとしないっていうかつまらなくて、でも『幸福な食卓』は途中ちょっと心を動かされはしたけどそのラストシーンにというかラストシーンに向かう過程にげんなりしてしまって、なんだかなあと。
ていうかなんで最近の私は小説ばっかを読んでるんだろうと。