吉田拓郎、あるいは卑下される少年性

雨の中、大学へわざわざ論文コピーしに行ったのに図書館のコピー機が故障中で落胆。授業もないので、喫煙所でタバコを2本吸ってそのまま帰宅。なんか今日は寒いようだったので厚着していったら汗かいた。不快感が3割増。おまけに昨日は眠れなかったので、徒労感が6割増。
いったん家に帰ってから友人宅へ押しかけ、缶チューハイで乾杯。腹が減ったのでデニーズで夕食。これから(建設)現場へ資材を回収しに行くという彼と別れ、地元のバーへ。30分ほどすると、(建設)現場へ資材を回収しに行ったはずの友人が現れる。ワケを尋ねると、酒を飲んでしまったので運転できないことに気づいたらしい。そのまま2人で2時間ほど歓談。以前、吉田拓郎さだまさしのことを「少年みたいな声で歌うやつだ」とバカにしていたが、その友人が聴くところによると吉田拓郎も充分(あるいはむしろ吉田拓郎の方が)「少年みたいな声で歌うやつ」らしい。その話を受け、少年性を帯びた声とはどんな声なのか、吉田拓郎はなぜ少年のような声でうたう歌手を批判するのかなど、いろいろ模索する。しかし1時間以上経過してから、そもそも「少年性」とは何なのかを突き詰めなければいけないのではないかと気がつき、そんなことをいささかも顧みようとしない2人の会話を辿るにつけ、やはり彼(現場へ資材を回収しに行くはずだった友人)は車を運転しなくて正解だったなとひとり沁みいったりした。