横浜西口摩天楼

昨日はバイトが休みだったため横浜で友人と朝まで呑み、今朝の9時ごろ帰宅した。大学は違うのだけど、お互い4年生ということもあり卒論の経過などを報告し合う。私の卒論の内容を聞いて彼女はたいへん驚いており、それはつまり大学に入った当初は漠然とではあるけど身体表象論みたいなことをやりたいと言っていた私が、4年後の現在はある意味で政治的かつ具体的な事象を扱った問題を卒論題目に選んでいるというそのギャップに対する驚きであるようだった。自分の中では身体表象論に対する興味の持ち方が変容していき現在にいたるそのプロセスにそれなりの一貫性を持ってもいたので、他の人から見るとこういうふうに見えることもあるのかと、逆に驚かされたりした。
んで昨日の話の中で最も感銘を受けたのは、彼女が発した組閣についての言葉で、「サプライズ人事とか言うけどみんなをサプライズさせても仕方ないと思うんだよね」というものだったように記憶している。いや、それは実に真っ当な話で、私を含め多くの人が普段から抱いている感覚だと思うんだけど、それをこのように直截な形で耳にしたのはたぶん初めての経験だった。私は彼女の言葉を聞いて少し感動さえしてしまったのだけど、それはたぶん言葉の強度に関する問題というよりも、むしろ「言葉」を発するという行為自体が内在させている強度に関する問題ではなかったかと思うのだ。