別に入社に合わせてたわけではないけど、保坂和志の『カンバセイション・ピース』と、それと並行して読み直してた『アウトブリード』を読み終える。『カンバセイション・ピース』は正直微妙で、つーか間違いなく傑作なんだけど、微妙っていうのは完全に私の体調とか状況とかの問題で、読んでる最中何度も引っ越す前まで同居してた母方の祖父母のことを思い出してしまい、文字を追いながらその人たちのことについてずっと考えてしまったから、読み終えてみると作品についてあまり感想みたいなものが残らなかった。もちろん祖父母のことをそんなに頻繁に考えていたという状況自体が『カンバセイション・ピース』に触発されたもので、うまく言えないけど、そういう体験としての読書という意味ではひどく濃い時間を過ごせたかなと思う。
そしてむしろでは全然ないけれど、再読した『アウトブリード』では書かれている言葉それ自体を吟味するというような意味で、『カンバセイション・ピース』とはちょっと違った読書ができた気がする。その『アウトブリード』の中で、特に感銘を受けたというか素直に勇気をもらった文章があって、

美術館でクレーの絵の実物を見たときに、あなたが「動く!」と感じたものがカタログでは決してそうならないのも、実物と印刷物とで得られる情報の量に膨大な違いがあって、クレーがキャンバスに敷いた綿密な下地や筆のタッチによる凹凸まで印刷では再現できていないからだけど、あなたがよく口にしていた『愛』があるかないかは、世界から感受しうる情報の量や密度や強度において、クレーの実物の絵と印刷物ほどの違いが生まれるものなんだよ。

ってここだけ引用してもあまり意味はわからないけれど、とにかくエコノミーに埋もれてしまわないこと。そこから冷静に距離を置きつつ、かつ情熱をもって生きていくこと。情熱は若さを係数としていくらでも増減するけど、決して若さそれ自体ではないということ(つまりエコノミーに逆戻りしないこと)。あらゆる状況の変化への従属をシニカルに受け入れるのではなく、むしろその変化に『愛』をもって接していくこと。
とりあえず、そういうことを考えた。