そして5月になり、初任給が10万を切っていたという事実や、あまり夜中に眠れなくなってきてるという猥雑さや、綿矢りさ電通に就職したとかいう噂や、歯の痛みがいよいよ耐え難くなってきている気だるさや、何よりそういう個々の出来事が堆積していく自分がこれからあと(たぶん)何十年も生きなければならないというある種の予想(予感ではなく)に対して抱くうんざりなんだよという正直な気持ちは、やはりネガティヴな方角へ私を傾倒させていくが、まあ不用意にポジティヴであるよりは全然マシなのであり、つまりそこで言われているネガティヴ/ポジティヴという区分けを悪/善みたいな、まあ雑駁に言ってプラス/マイナス的な対立と重ね合わさなければならない必然性など断じてないのだということを、実感を伴って再認識している。
会社帰り、隣の駅前にある本屋で中原昌也『名もなき孤児たちの墓』と矢部史郎・山の手緑『愛と暴力の現代思想』を買った。

愛と暴力の現代思想

愛と暴力の現代思想