映画『パッチギ!』を観た。なんつーか、青春モノっていうかビルドゥングスロマンっていうか、そういう映画の王道的な造られ方をしていて、だけどそのことが全然マイナスになっていないばかりか、むしろそのことによってこそ非常に好感の持てる作品となっているという気がする。えらそうだけど。

大学のときの友人と中野・阿佐ヶ谷で呑んだ。前日の教訓から風邪を治してお酒を飲もうと薬を服用したのがいけなかったらしく、帰りの電車の中でまた気分が悪くなる。曽我部恵一とかクラムボンとかを聴きながらなんとか持ちこたえた。
咳のしすぎで胸のあたりが筋肉痛っぽい。

以前『ソラニン』はつまんないとかそういうことを書いた気がするけど、単行本の2巻が発売されたので完結まで読んでみたら、感想が改まったとういうかなんというか、面白かった(というか、もうだいぶ前から1巻を何度も読み直したりしていて、話の筋とかは置いておいて登場人物たちの生活っぷりみたいなものの描き方が、面白いというより味わい深くて、続編が発売されるのをけっこう首を長くして待ってたんだけど)。いまこのことの他になにか言えるわけじゃないけど、とりあえず個人的には何度も読み直していける漫画じゃないかなーと思う。
ソラニン』と一緒に、阿部和重『プラスティック・ソウル』と多和田葉子『エクソフォニー』を買う。

実に5年ぶりぐらいに会う友人とかと地元で飲み。風邪気味だったこともあり、あんま強いのは飲みたくなかったのでウーロンハイばかりをずっと頼み続けてたら逆に気持ち悪くなった。トイレで吐いてまたウーロンハイ頼んで吐いて、笑って、3年後に便利屋を共に開く約束をする。

そして5月になり、初任給が10万を切っていたという事実や、あまり夜中に眠れなくなってきてるという猥雑さや、綿矢りさ電通に就職したとかいう噂や、歯の痛みがいよいよ耐え難くなってきている気だるさや、何よりそういう個々の出来事が堆積していく自分がこれからあと(たぶん)何十年も生きなければならないというある種の予想(予感ではなく)に対して抱くうんざりなんだよという正直な気持ちは、やはりネガティヴな方角へ私を傾倒させていくが、まあ不用意にポジティヴであるよりは全然マシなのであり、つまりそこで言われているネガティヴ/ポジティヴという区分けを悪/善みたいな、まあ雑駁に言ってプラス/マイナス的な対立と重ね合わさなければならない必然性など断じてないのだということを、実感を伴って再認識している。
会社帰り、隣の駅前にある本屋で中原昌也『名もなき孤児たちの墓』と矢部史郎・山の手緑『愛と暴力の現代思想』を買った。

愛と暴力の現代思想

愛と暴力の現代思想

近所のレンタル屋がセールということで、久々っていうか、たぶん人生初なんだけど、DVDを5本借りてきた。5本借りるとCDが一枚タダで借りられるっつー、冷静に考えるとわけわかんないもんにのっかってしまった。
そんで5本のうち『ミリオンダラー・ベイビー』と『メゾン・ド・ヒミコ』をとりあえず観た。イーストウッドの監督作品って実は一度も観たことがなくて、でも友人の薦めで借りた『ミリオンダラー・ベイビー』はやはり素晴らしかった。イーストウッドの額や頬の皺とかもうなんつーか奇跡的だった。『メゾン・ド・ヒミコ』はどこまでいっても中途半端っていうか、これは『ジョゼと虎と魚たち』のときも感じたことだけど、シーンとシ−ンが断絶しかかってて(必ずしも意味的なつながりにおいてだけではなく)、まとまりのないスライドショーを見せられてる気がした。これが持ち味だっていえば確かにそうなんだけど。でもどっかのクラブかなんかのシーンは嫌いじゃなかった。
ちなみに借りてきたCDは最近出たフィッシュマンズのベストの『宇宙』の方で、「ナイトクルージング」をどうしても聴きたかったんです。おとといくらいから「アッペンダウン、アッペンダウン、スローファスト」っていうのが何でか知らないけど頭から離れなかったけど、やっぱこの曲はとりわけ素晴らしい。あと「WALKING IN THE RHYTHM」から「100ミリちょっとの」へ向かう流れは鳥肌がたった。

宇宙 ベスト・オブ・フィッシュマンズ

宇宙 ベスト・オブ・フィッシュマンズ

風邪はいつの間にか治ってしまって、結局仕事も休まなかった。
ひさびさの風邪だったけど、でもこの治り方は嫌いだなーと思う。平日の昼間にうんうん言いながら寝込んでて、ふと夕方に目が覚めると熱がひいていて、体調はすごく楽になってるんだけどどこかしら身体の(皮膚の下に、内にあり、そして皮膚に包まれているような何かなのだけど肝臓とか胃とかあるいは脂肪とかそういう具体的なものでは全然なく、とりあえず普段そこに詰まっていたよなと、このような状況のときにふと思える)内包物の絶対量が減ってて、奇妙な(熱でくらくらするのとはあらゆる意味で異なる)浮遊感を覚えてしまうような風邪の治り方というか、その過程というか、そもそもどの時点で「風邪が治った」と言えるのかは疑問だしとりあえず「治った!」瞬間なんて認識できないから、曖昧な言い方になってしまうけどその曖昧さ自体を含有するという意味で、まあ治っていき方のようなものがベストだ。というか、かくあるべきだ。断じて、ISOかなんかしらないけど、薄暗いオフィスでパソコンに向かい昨日の売上データを入力してるうちに治るもんじゃない。