デモ

上海でのデモが2万人を超えたらしい。その一部が総領事館や日本企業、日本料理店などへ投石を繰り返し、けっこうケガ人も出ているようだ。っていうテレビニュースで、実際にデモの群集をうつした映像が流れた。まああのカメラアングルとかあれは意図的にやってんだか知らないけど、ワイドショーが「狂気の集団」を報じるには充分の「不気味さ」が感じ取れてしまいちょっと鬱になった。
で、新聞メディアは日経と朝日と毎日しか読んでなくて、しかもいま日経しか手元にないからどうなのかわからないけど、テレビは殆ど町村外相と李外相の会談が中国側からの謝罪なしで終わってしまって憤るよな的な論調だった。中国側から謝罪がないのは理解できなくもなくて、共感はしないけど、いわゆる愛国教育を続けてきた共産党政権にとって反日デモを否定することっていうのはなかなか難しいんだろうなと想像はつくのだけど、それにしてもあのデモは行き過ぎだよなとの感が否めない。もちろんデモ自体を止めさせろと言わんばかりの日本メディアの報道もおかしいのだけど。
それにしても記憶が定かではないが、確かデモが起きた当初って、その原因は日本が常任理事国になるならないが争点だった気がするのだけど、やっぱりというか問題の争点として浮かび上がってくるのは歴史認識みたい。韓国との竹島問題にしてもそうだけど、当事国同士が外交レベルで双方の歴史認識の正当性を主張したとしても水掛け論にしかならなくて、やっぱそこでの議論は資本蓄積とか輸出入とかの実務的な問題に上滑りして結局そもそもの歴史問題が置き去られてしまうのだろうなという予測が容易に成り立ってしまう。本当に正当性だけを誇示したいのであれば、国連裁判等々の第3者機関を介在させなければならないのだけど、やっぱりそれも問題解決に有効であるだけで、ナショナリズムやナショナルアイデンティティーなんかと密接に関連してしまう「歴史」に対してどれだけオルタナティヴを提示できるだろうと言うとやっぱ心許ない。
それよりも今回中国が盛んに指摘する「靖国問題」や「教科書問題」に対して、再考を促していく視線の方が双方の国内でよっぽど必要なんだろうなと思う。たとえば文部省の教科書検定や総理大臣の靖国参拝や、おいおいって思ってしまうことを〈日本人〉はもう一度考えてみるべきだし、日中戦争に偏重した中国の歴史教育へ〈中国人〉は疑問の目を向けてみるべきだ。つーか単純に双方が不満に思ってることを相手国にアピールするだけでは熱は冷め難いだろうし、冷静になった方がいいよねーって今日のテレビを観てて思った。
私は「暴徒」と化しているデモに参加している人全員が総領事館を破壊したいと思ってるのではないと思うし、いやそもそもデモって個人の意見を集団へ収斂し一元化させていくものなのだからそれは甘いよって言われればそうなのかもしれないけど、でもやっぱ一元化されてしまったものからその多声性を想像する努力って必要だよなとも考えるわけで、このような動向の中でなお敢えてデモヘ参加した人々がその行為の中に何を賭けようとしたのかっていうことは、たとえば日本の戦時期に翼賛化していった婦人会とかがでもその中に「女性解放」の契機を見出そうとしていたように、目一杯の批判的視座を持って想像し、そしてそれに反照される形で自己の歴史とかを考えなきゃだよなーって、そんなふうに思う。
うまくまとまってないけど。