ぼくのあるともだちは、片手でキャッチボールをすることができる

友人から借りてたCDを返すため隣町の駅前へ。待ち合わせ時間よりだいぶ前に到着してしまったため、ぷらっと本屋へ立ち寄る。ぷらっと立ち寄ったはずが、群像と新潮と大江健三郎の『取り替え子』の文庫を購入。駅前のベンチ*1に座って大江を読みながら友人の到着を待つ。
隣に座ってた女性が、タバコに火をつけようとして上手くつかなかったからだと思うのだけど、しゃかしゃか振っていた手からすっぽ抜けたライターが私の左足に命中。おもむろにそのライターを拾い女性に差し出すと、彼女は「すいませんでした」と受け取る。「すんません」とか「すみません」とかではなくはっきりとした口調で「すいません」と発音された謝罪の言葉を久々に耳にした。と、そう自分のライターを差し出しながら(彼女のライターは見たところオイルが切れていた)彼女に告げると、今度は「すみません」と、悪戯っぽく少し笑って私のライターでタバコの火をつけた。ちょっとドキっとしてしまった。
ちょうどそのとき友人が現れたので、女性に頭を下げその場を離れる。近くの喫茶店に移動し1時間ほど雑談。舞城王太郎の話とか吉田修一の話とか、あと郵政法案の話とか路上喫煙の話とかをした。友人が舞城の『好き好き大好き超愛してる*2』は実にくだらなくて、そのくだらなさは吉田修一の『東京湾景』にも匹敵するとかいうようなことを言ったので、私は『東京湾景』を読んでなかったけど少なくとも『好き好き〜』の素晴らしさってのは作品冒頭の1文が既に担保してしまっており、確かにその後の展開で「あれー」とか思うところはあるけど、でもそれにしたってあの出だしの1文はその「あれー」を打ち消してしまうくらいの圧倒的な強度を持ってるのだよとか、全然わけのわからない反論をして、なんでこんなわけわかんないこと言ってるのだろう「あれー」とか困ってしまったけど、友人に「でもそれって山崎ナオコーラの小説はどうしようもないけど、でも山崎ナオコーラって名前は素晴らしすぎて、それだけで芥川賞候補になるだけの価値はあったって言うのと一緒じゃん」と非常にまっとうな反応をいただき、私は「そういやさー可決されたねぇ」とお茶を濁した。でも私は『好き好き〜』ってほんと素晴らしいと確信してしまってて、そのことについてもう一度(ナオコーラも視野に入れつつ)考えてみなければなぁっていうか考えてみたいと思った。
そのあと店を出て友人と別れ、バスに乗り家へ帰る。部屋で寝転びながら買ってきた新潮の保坂和志福田和也の対談を読む。保坂の『小説の自由』についての対談だったんだけど、内容が上手く頭に入ってこなかった。あとでまた読むと思うけど、なんか印象としてはあまり話がかみ合ってなかった気がする。
続けて読みかけた大江に手を伸ばしたが、眠たかったので昼寝した。小一時間のつもりが熟睡。夕方の台風かってくらい酷い夕立の音で目が覚める。目覚めて飯つくって食ってから気づいたんだけど、友人にCD返すの忘れてた。普通に喫茶店はいって普通に返すの忘れて(普通に返されるの忘れて)ふたりとも何してたんだろって友人にメールしたら、「ナオコーラの話」って返って来てちょっと感動した。
んでいまその返し忘れた曽我部恵一の『瞬間と永遠』を聴きながら、明日の面接に行こうか行くまいか迷い果てている。

*1:前にも書いたけど、そこはよしもとよしともの「ライディーン」という漫画に登場するベンチだったりする。いま気づいたけど。気づいてからなんでよしもとよしとものミーハーにならなきゃならんのだとちょっと鬱になった。

*2:関係ないけど、「すきすきだいすきちょうあいしてる」を変換しようとしたら「好き好き大好き寵愛してる」って出て笑った。