今度は少し頭が痛い。腫れていないことがせめてもの救いだ。

山手線の田町から有楽町ぐらいまでの、車窓から見える街並みってほんと素晴らしいなーとか考えながら面接に行き、そのあと授業に行こうか迷ったけど面倒くさくなってやめて、地元の松屋で昼食を取って家に帰って昼寝した。
最近、自分の生活の中に昼寝の時間が組み込まれつつあるなーと思った。
そのせいかはわからないけど、タバコを吸うと頭痛がする。
夜になって起き出して、でも布団からは抜け出せずに枕元にあった群像に読み耽る。
前田司郎「愛でもない青春でもない旅立たない」を読んで、前田司郎って人を始めて知ったのだけど、けっこう面白かった。なんつーか、たとえば行為責任なんてものはそもそも「行為」という概念が非常に恣意的なものであり、それが「行為」と断定されるのは行為者によってではなく被行為者、あるいは第三者の視点によってであり、その流動的「行為」の責任の所在は行為者の自律性の中にではなくむしろ社会との相対的自律性の中にあるのではないかという話はよく聞くけれど、登場人物の描写に際してそのへんのことが丁寧に、しかもわりと気を抜いて書かれているのがよかった。何だろ、自己の動作に対する認識の不誠実さっていうのかな、むしろそれは不可能性にも近い気がするんだけど、まあでも不可能性を不可能性として肯定・認識するみたいな議論のノリではなくって、そうした問題をあくまで不誠実さというか怠惰というか、そういう水準に留めて描いているのが逆に誠実に思えました。んーでも最近、小説の題名に「愛」っていう言葉がよく使われてる気がするな。気のせいかな。
あと高橋源一郎山田詠美中原昌也の鼎談はどうしようもないっていうか、まあ部分部分で「そうだよね」って納得することは出来るんだけど、やっぱどうでもいいよ感は拭えないと思った。なんていうか、山田詠美の対談とかインタビューとか聞くといつもそういう方向に話がいってしまっているような気がするのだけど、「文壇」とか「文士」とか、あるいは「小説家という質(タチ)」だとか、そういうものを語る視線の角度とそこに混じる崇拝っぷりがほんともうどうでもいいよって感じてしまう。あとちょっと中原昌也が可哀想だなと思った。タカゲンと山田詠美にずっと「君は小説を書くのが好きなんだよ」って責められてた感があって。
んでたったいま大学の後輩から電話があって、深夜とかに平気で電話かけてくる奴ってたまに殺したくなるけど、まあ私も起きてたから普通に取ったら開口一番「間テクスト性クリステヴァの関係を教えてください、簡潔に」とか言われて、ああこいつ私のことなめてるなと思った。もちろん電話はそこで切った。